こんばんは。
今日8月6日は広島原爆投下の日。平和を祈る日です。
広島では小学校から平和授業がごく当たり前にあり、
原爆投下当時の生きた証言を聞かせてくれる語り部の方がたくさんいらっしゃり、
平和に対する教育・意識が高いのです。
広島のご出身の方やお住まいの方にとっては、「普通のことなのに、当然のことなのに」
そう感じるでしょうけど、
広島県外の出身者である私自身、とても驚いたことでした。
広島・長崎における原爆投下で背負った大きな被害と悲しみと苦しみ。
日本史の中で現代史の授業のほんの一部でそのことは学んでいても、
家族や親せきに戦争のことを多く語る人もおらず、
平和の尊さや戦争の悲惨さについて考える時間はなく
平和ボケした日常に溶け込んでしまうのです。
あまり多くの人に言うことはなかったのですが、
広島県外から26歳で引っ越してきて、
最初の1、2年は、原爆投下地点である広島市街地へ行く度、
あまり気が進みませんでした。
広島市街地へ向かう路面電車に乗っていると、本川町あたりから、
どういうわけか、身体がこれまで感じたことがないような『痛みに近い感覚』に陥るからです。
『痛みに近い感覚』という表現をしているのは、
実際、目視で確認しても傷も湿疹などもなんの異常もありませんし、
しばらく時間が経てば、慣れてしまい我慢できる程度の、
本当に薄い感覚の痛みだからです。
ピキピキッとでも言いましょうか、
それが顔から手首からつま先まで・・・
それが原爆とどういう関連性があるかどうかもわかりませんが、
実際に私の感覚であることは間違いありません。
今は広島の苦しみを共有しているのだと痛みを前向きに捉えるようになりました。
今夜の晩御飯は焼き鮭。
フライパンで鮭を焼いているときに、
熱い油がはねて脚の甲に小さな火傷ができてしまいました。
本当に小さな火傷ですが、
ずっと小さな針でつつくように鋭い痛みが襲います。
原爆投下で、
この鋭い痛みをはるかに超える激痛を全身に感じ苦しみもがきながら、
亡くなった方がどれだけ多くいらっしゃったことでしょう。
痛みすら感じる間もなく、人生を吹き飛ばされた方もいらっしゃったことでしょう。
小さな火傷の痛みさえも平和の祈りに変えたい・・・
平和の意味を深く考えたい、そんな一日です。
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